Peko's Gun Box
The difference between men and boys is the price of their toys. (by Ichiro Nagata)
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SMITH & WESSON  Model 3 Schofield  by C.A.W.

(Part 2) コンバット・マガジン取材編!
ニール氏とスコーフィールド!
コンバット・マガジンの市郎さんに撮ってもらう?!
 さて、完成したスコーフィールドですが、このガンのことを知っている人はよほどのウェスタンマニアだろうと思います。 やはり皆さんに知ってもらう為に宣伝をしなければなりません。 そこでよくあることですが、雑誌とのタイアップでスコーフィールドというガンをレポートしてもらい、皆さんに知ってもらおうと言うわけです。 と言うわけでクラフトアップルさんからコンバットマガジンの出版社であるワールド・フォトプレスのほうへ話を持ちかけて出版社からその時のメイン・レポーターだった市郎さんへ問い合わせてもらいました。 ワールド・フォトプレスからの回答は 「市郎さんは大のスコーフィールド・ファンで本人もレプリカを1丁自分で所持しているほどなので、レポートの話は大歓迎と言う事なので話を進めましょう!」 ということになりました。 レポートにあたり市郎さんからのリクエストは、本物のスコーフィールドを用意するのと雑誌に出てもらうモデルを一人つれてきてほしい!と言う事でした。 モデルと言われても日本人じゃあ さまにならないのでどうしようかと考えた末、ニール氏に頼んでみました。 もちろん銃も彼から借りなければならないので 「日本の雑誌に載せるのだけれどやってくれませんか?」 と聞いたらO.K.してくれました。 彼は、「じゃあ騎兵隊のユニフォームとかトラップドア(スプリングフィールド1873)とかもいるよなあ!」 ということになり彼のコレクションであるホルスターやユニフォームなども一緒に持っていってもらいました。  クラフト・アップルの社長さんも一緒に同行したかったのですが、忙しくて日本を出られないと言う事なので私とニール氏の2人で市郎さんの所へ向かう事になったんです。 当時、市郎さんはサンフランシスコではなくメルセドという所に住んでいて(サンフランシスコの南東のほうです。)ミッキー・ファアラ氏の住んでいるマリポサという所の近くなんです。 今でもそうですが、よくミッキー・ファアラ氏の土地の敷地内で撮影をされていました。 市郎さんの所まではLAから車で4〜5時間ぐらいかかります。 撮影日の前日に近くのモーテルへ入り打ち合わせをした後、次の日の朝市郎さんと一緒に撮影に向かう事となりました。 
偶然にも市郎さんとは20年前に遭遇!
皆さんの中にも持っていらっしゃる方がいると思います。

こんなビデオがあったんです!
コンバット・マガジン1984年5月号に紹介の記事があります。

タイトル画面!
実はこのほかにパート3のサバイバルゲーム編もありました!
 一郎さんとは1度以前にお会いした事があります。 私はアメリカに来た当時(20年ほど前!)、LA郊外のサンフェルナンド・バレーのパノラマ・シティーという所に住んでいました。 来たころは金もなく貧乏していましたので古いアウディーに乗っていました。 排ガス検査が通らないのでそれを直すのにどれぐらいかかるのかを見てもらいに近くのポルシェ・アウディー専門の修理屋を覗いてみようと思い走っていたところ、どこかで見たような店が! 確か何かで見たなと思いつつその時は思い出せなかったのですが、何日かたってふと思い出したんです。 「そうだ!確かコンバット・シューティングというビデオだ!」  そうなんです! その当時、IPSCシューターのマイク・ダルトン氏はポルシェ・アウディー専門の修理工場をやっていたのです。 コンバット・マガジンの協力で昔、コンバットシューティングと言うビデオでリボルバー編がマイク・ダルトン氏オートをミッキー・ファアラ氏、サバイバル・ゲーム編をアレックス・ジェイソン氏が担当して解説をするというものがあったんですが、リボルバー編にマイク・ダルトン氏のショップ周辺が写っていたのです。 モデルガン・チャレンジャー誌にも写真がありました。 写真と見比べてもやはり同じようです。 よし!行ってみようと思い店の中へ入っていきました。 
これに写っているショップがなんと目と鼻の先にあったんです!

マイク・ダルトン氏のショップ
若き日のジム!

ジム・ボランド氏も出ていました!
カスタム・ガバのスライドを引くときの音の違いにビックリしました!

ミッキー・ファアラ氏の45オートの連射!
デベル・カスタムには1度だけガンショーでお目にかかったことがあります!

なんとデベルカスタムまで出ていました!
この雑誌は私にとってガバをカスタムするにあたってのバイブルでした!

モデルガン・チャレンジャー誌・創刊号と83年7月号
 するとマイク・ダルトン氏本人が出てきました! 私のへたくそな英語で事情を説明したところ何とか理解してくれて 「うちでは排ガス検査の機械がないから向かい側の店のダーグを紹介するよ!」 と言ってダーグ・リー氏を紹介してくれました。 彼も同じIPSCシューターの一人でモデルガンチャレンジャー誌に出ていた一人です。 彼は私の車を見て 「カリフォルニアの法律では修理に500ドル以上かかる場合は排ガス検査を免除してもよいということになっているので証明書を出してあげるよ!」 と言ってくれたのです。 今の法律では必ず修理しなくてはならなくなったのですが当時の法律はゆるかったのです。 金欠だった私は彼のおかげで助かりました。


 そうこうしている所へマイクのところに見た事のある人が! そうです!市郎さんでした。 なんという偶然かサンフランシスコからLAへちょうど来ていてマイク・ダルトン氏のところへ立ち寄ったところでした。 私は「市郎さんじゃあないですか?」 と声をかけました。 すると少しトーンの高い声で 「君は日本からかい? ちょっと僕の車のところへ来てくれるかな?」 と言われ、最近買ったばかりの市郎さんのモーター・ホーム(キャンピングカー)へ案内されました。 このモーターホームはその後雑誌にも出ていたので「ああ、この車がそうだったんだな!」と後でわかりました。 市郎さんとはなぜアメリカへ来たのか?とかガンは好きなのか?とかなど少し話をしました。 「君も何か試合に出ればいいんだよ!」 と言っていただいたのですが、そのころはアメリカへ来てまだ日が浅く、安月給で働いていたのともうすでに結婚していたのでとても試合どころか銃を撃つ事さえままならない状態でした。 そのころから市郎さんは日本人シューターの世話をしていたのを知っていたのでその人たちの事がとてもうらやましかったのを覚えています。 その時はそれで別れたのですが、たぶんそんな事は覚えていらっしゃらないでしょう。 雑誌でしか見れなかった人たちに実際に会えるなんてちょっと感動してしまいました。 
同じ看板があったんですよ!

ショップの紹介記事!
右に写っているのがダーグ・リー氏!

ダーグ・リー氏に助けてもらいました!
ミッキー・ファアラ氏とも対面!
 撮影前日に市郎さんと会い撮影に使うスコーフィールドを見てもらいました。 市郎さんは少しがっかりした様子でした。 編集部のほうからすばらしいスコーフィールドを持ってくるなどと聞いていたらしくニール氏のガンは下地の研磨があまり良くない上にブルーをかけ直してあったのでスコーフィールド・ファンの市郎さんは期待はずれだったようです。
 次の日の朝、市郎さんはそのころはまだアシスタント(?)だったナナさんと一緒に現れました。 今はもうご結婚されてご夫婦なのはご存知だと思います。 市郎さんのランドクルーザーへ乗せてもらい、一緒にミッキー・ファアラ氏の住むマリポサへ向かいました。 ミッキー氏の家へ到着し最初にミッキー氏と奥さんのリンダさんを紹介されました。 ここの広大な敷地内はたびたび雑誌で紹介されているので皆さんもご存知だと思いますが、どちらに向けて撃っても全然問題なさそうなくらい広いところです。 そして彼の家から丘を少し下がったところに日本人シューターが合宿してスティール・チャレンジやビアンキ・カップに挑むゲストハウスへ向かいました。 ここでニール氏に着替えてもらい撮影の始まりです。
 撮影は暑い陽射しの中、、何箇所か場所を変えながら順調に進みました。 じつは私も撮影のお手伝いをしたんです。 レポートの最初のページの写真は私とナナさんが下からレフ版をあてているのですよ。  ニール氏には暑い中、厚着をしてもらいご苦労さんでした。 
 撮影後、市郎さんに「こういう所はどう思うかね?」と聞かれたので「ここは銃を撃ちたい人にとっては夢のようなところですね!」 と答えたのを覚えています。 その後何年かしてミッキー氏は別の所に家を建て、ミッキー氏が住んでいた所に市郎さんが引っ越して撮影の仕事を続けているのは皆さんご存知ですね。
 撮影が終わりその後に市郎さんの家へ案内されました。 そこでおなじみのボブ・チャウ・スペシャルやボランド・スーパー・カスタムと対面しました。 もちろんSIG550や美しいディティクティブ・スペシャル・セカンド・モデルなど市郎さんのコレクションを見せていただきました。 やはりみんなすばらしい物ばかりで感動したのを覚えています。
私もプライベート・ライアンを見てハドソンのトンプソンM1A1を買った口です!

コンバット・マガジン1998年10月号
ウベルティー製スコーフィールド!

市郎さんのスコーフィールド!
衣装もガンも弾もみんなニール氏持ちです!

写っているモデルは全部ニール氏です!
写っている弾と弾の箱は当時の本物です!

最後に1枚だけあるニール氏のスコーフィールド!
 その後間もなくコンバット・マガジンにレポートが載りましたが、ニール氏のスコーフィールドを気に入らなかったのか実射の写真が主で市郎さん所有のスコーフィールドのアップと最後に1枚だけオリジナル・スコーフィールドの写真が載っただけでした。 レポートも市郎さんではなくナナさんが書いていましたしね。 確か市郎さんは私に最初スコーフィールドを見た時に一緒に持っていったSAAのファースト・モデルと比べて 「この2丁を見るとわかるようにSAAの方がどう見ても銃の歴史が出ているだろう? (スコーフィールドが)こんな仕上げじゃダメですよ!」 と言われたのが印象に残っています。


 もうあれから8年もたつなんて月日の流れるのは早いものです。 その後何回かSHOT SHOWなどで市郎さんたちをお見かけしました。 たぶんもう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、あの時はお世話になりました。 市郎さん、ナナさん、ありがとうございました。
 市郎さんと会う前はどんな人だろう?と色々考えていたのですが、レポートの文章などから たぶん相手の事を最初にじっくりと観察し、その人の心の中を読んで相手と対応する人ではないかなと思っていました。 ガン誌レポーターの時代からの読者であった私は、市郎さんのことは雲の上の人のような感じでしたから。 実際に会った感想は、大体思っていたような人で、1つの信念を貫くような1本の筋の通った人だと感じました。 業界では色々悪口を言う人もいるようですが、それは市郎さんがアメリカ生活が長いのでビジネスの考え方がアメリカ式だからと思うのです。 アメリカにはイエスとノーしかありませんので日本のあいまいな返答やなあなあ式のやり方ではアメリカでのビジネスは出来ないのです。 

 まあ、市郎さんの目に私はどう映ったかはわからないですが(汗) いつまでもみんなの憧れであり目標であるようがんばっていただきたいものです。


                                                  12/24/2006
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