 |
初めての投稿! |
パパ南部を久しぶりに引っ張り出して眺めていたらふとこれについてガンプロに投稿記事を書かせていただいたことを思い出し、いつだったか?とみてみたらもう5年も前のことだったことに気が付きました。 一部の方は投稿のことをご存知かと思いますが、コルトパイソンやAR系ライフルの記事などに埋もれて皆さんただパラパラとページをめくっただけかと思います。 GUN
BOXのページに記事の追記は書かせてもらったのですが、今回はせっかくの記事なのでここで一応紹介しておこうかなと思いました。 ここに紹介するレポートは私の元の原稿で雑誌には校正をかけて言い回しなどを変えてページにフィットするよう少し変わっていますが言いたいことは同じなのでもし興味にある方は読んでいただけると嬉しいです。 |
 |
南部式自動拳銃大型
日本の自動拳銃の先駆けと言えば南部式自動拳銃大型だろう。 西洋の流行に習いマウザーC96やルガーP08のようにストックが付くように設計された。 いわゆるグランパ南部と呼ばれるものだが、その後ストックが付かないバージョン、つまりパパ南部が生産されることとなった。 しかしパパ南部の中にもストックが付くバージョンが存在することが知られている。 今回レポートするパパ南部にもストックが付くのだが、そのモデルには謎が多い。 その謎に少し迫ってみようと思う。
|
|
はじめにあたって
「今回のお題は南部式自動拳銃で、、、、」といつもの自分のホームページの書き出しはこんな感じなのだが、今回は何もかもが初めてなのだ。 もちろん雑誌に記事を書くなど文章を書くのが苦手な私には初めてのことであり恐れ多いことなのだが、今回レポートする南部式自動拳銃も今回初めて手にした物で、モデルガンの十四年式でさえ持っていなかった私にとって新鮮と言えば新鮮なのだがそれをレポートするなどまったくもっておこがましいのだ。 南部式自動拳銃はもうすでに床井さんが歴史について、タークさんがメカについてレポートされているのでそんな物は全部すっとばして私が感じたままに書いてみようと思う。 この文章も他のレポーターの方々に敬意を表して同じ文体で書いているのだが、これとて初めてで、どうも上手く書ける気がしない。 ひょんな事からガンプロの副編集長さんにレポートを頼まれたわけだが、何もかもが初めてで四苦八苦して書いたので読みづらいとは思うのだが少しお付き合い願いたい。
南部式自動拳銃と言えば私は長い間、このパパ南部を甲、ベビー南部を乙だと思っていた。 古くからのガンマニアの方もそういう人が多いのではなかろうか? 当時(と言ってもモデルガンの第一次規制のころ)TRC(東京レプリカコーポレーション)と言うところからこのガンプロの雑誌のページ数に匹敵するようなモデルガンのカタログが出ていて後ろのほうのページに「南部式拳銃(甲)」と「南部式拳銃(乙)ベビー南部とも言う」というイラストがあり、他に何も資料が無い時代だったので長いことそれを信じて甲(大型)と乙(小型)があるのか!と学んだのだった。 このカタログは長いこと私にとってガンのバイブルだったというわけなのだが、まあ、あまり日本軍の銃には興味が無かったのでそんな物で十分なのであった。(笑) 実際はストックが付くものを甲、付かないものを乙、そしてベビー南部は小型ということになるのだが。
だがその後、当時、某週間マンガ雑誌に望月三起也先生の「ワイルド7」という連載があり、その登場人物の中の一員で八百というキャラクターが南部式自動拳銃を持って活躍するのを見てかなり興味を引いたのだった。 どこにかと言うと左右非対称という今までのガンの常識を打ち破ったデザインに! あの十四年式はそんなデザインではなかったのにこれは面白いと思ったのだ。 それまでは真横の写真しか見たことが無かったのでまさかこんなデザインとは!(笑) かなり経ってマルシンのベビー南部が出るまでどんなメカなのか知らなかったのが本当だ。
|
 |
初めて手にする日本軍の拳銃
今までなぜか日本軍の拳銃という物に縁がなかった。 1つは弾薬の問題で8mm南部という弾自体、ガンショップにもガンショーでも撃つ為の弾はほとんど見かけない。 コレクション用に当時のオリジナルの弾はたまにすごい値段で見かけるがそれを撃とうとは思わない。 2つ目は日本軍のガン自体がコレクション・アイテムで少々程度が悪くても$1000〜$2000という値段が付いていて撃てないガンという物にあまり興味が無い私はわざわざそれを買おうとは思わなかったわけだ。 今回ひょんなことから知り合いの紹介で日本軍の拳銃コレクターの方から譲っていただくことになり、所持することとなった。 珍しい物と聞いていたのだが最初のオファーの時、どうせ私には手が出ないだろうと思っていたので目の保養にと見せてもらうだけ見せてもらおうとお願いした。 それはストック付きのパパ南部でストックの付いたグランパ南部は1〜2度ガンショーで見かけたことはあったが、パパのストック付きは写真ですら見たことが無かった。 しかし、ストックはリプロ(つまり後から製作されたもの)で当時の物ではないと見てすぐわかった。 ガンのほうもやけにきれいでこれはリフィニッシュしてあるのだと思っていたので撃つにはちょうど良いなあとその時は思ったのだ。 しかし、どんな状態でもパパ南部はそれ相応に高くてその時は見せてもらうだけとした。 その後、何ヶ月かたっても買い手が見つからず、値段がかなり下がり手が届きそうになったので貰い受けることにしたのだ。
|
 |
南部式自動拳銃 甲? 乙?
アメリカでは普通トリガーガードが小さくマガジン・ボトムが木製でストックが付くスリットがフレームにある南部式自動拳銃をグランパ・ナンブ、トリガーガードが大きくなりマガジン・ボトムがアルミ製でストック用のスリットが無い物をパパ・ナンブと通称呼ばれている。 今回、色々以前にレポートされた記事などを読んで調べてみた。 調べたといっても誰かの受け売りとなってしまうのだが、南部式自動拳銃でストックが付くものを甲、付かないものを乙と分類するらしい。 つまりここにあるのは南部式自動拳銃大型甲ということになる。 アメリカ式にいうとパパ・ナンブのストック付きというわけだ。
この南部式自動拳銃大型、南部麒次郎の設計なのだが別に軍から開発を頼まれたわけでもなく南部麒次郎が勝手に開発を進めたということもあって謎の部分も多いのだ。 しかしながら、著名な先生方が色々な文献などをしらべ大体の製造数などがわかってきている。 南部式自動拳銃大型は1902年に開発されたとなっているが製造されたのは1903年からで2400丁ほどが1907年まで製造されている。 いわゆるストックつきの甲なのだが、東京陸軍砲兵工廠で製作された。 もちろん軍に採用されたわけではないので将校の護身用に市販されたのだが、大半は輸出されたようだ。 1908年ごろからラージ・トリガーガードの乙型の製造が始まったようだが南部麒次郎はその後、陸軍に正式採用を打診しているが結局却下された。 実はそれまで正式だった三十年式小銃を三八式小銃に代替されたばかりでそれに結構な国家予算を使ったばかりのところへついでに拳銃もというわけには行かなかったらしい。 しかしその後、海軍での採用がこのころ決まっている。 いわゆるイカリのマークがついた乙型だ。 その10年ほどあとの1919年から東京瓦斯電気工業、つまりTGEでの生産が始まっている。 実はTGEで生産された初期の南部式自動拳銃大型にはストックのスリットが入った固体が混在するのだ。 実際にパパ南部のストック付をインターネットで検索するといくつか出てくるのだがどれもがTGE製なのだ。 なぜ乙型が東京陸軍砲兵工廠で最初作られてからから10年も経っているのにTGEで作られた乙型にストックのスリットが入った物が存在するのかが疑問だった。 そこで日本軍小火器等に詳しいガンプロでGUN HISTORY ROOM を執筆されている杉浦久也氏に質問したところ、丁寧な回答をして頂いた。 南部式自動拳銃は陸軍の正式拳銃ではないので各省庁や軍がちゃんとした設計図を管理していたわけではなく当初の設計図を東京瓦斯電気工業に渡したのではないか? それで初期のロットにはストックのスリットがある物が混在しているのでは? という回答だった。
|
 |
東京陸軍砲兵工廠製乙型シリアルナンバー4917 ストックのスリット付き
ここまでが前振りでここからが本題なのだが(笑)この手元にある南部式自動拳銃は東京陸軍砲兵工廠で作られたシリアルナンバー4917でストック用のスリットがある固体なのだ。 つまりストック用のスリットがあるということはかなり珍しいものということになるのだが私は当初これは本物なのか?と疑っていた。 つまり後から誰かがストック用のスリットを入れたのでは?と疑ったわけだ。 しかし程度は抜群でマガジンもフレームと同じマッチング・ナンバーでほとんど使用した後もなし。 普通ホルスターに入れて使用していた当時のガンは湿気と汗でホルスターの当たるところが腐食するのとランヤードリングの所も紐が湿気を吸ってどうしても錆びるのだがこのガンにはその形跡がない。 つまり持ち歩いていたガンではなさそうだ。 ブルーをかけなおしてもどうしてもその辺に痕が残るのだがそれが見受けられない。 たまに十四年式などブルーをかけなおしてあるものに出くわすことがあるが、それはもう一目瞭然、きれいなブルーでミリタリーガンの趣がまるで無い。 かなり痛い仕様なのだ!(笑) しかしこのガンにはそれがあまり感じられない。
そこで私のカナダの友人は日本軍ハンドガンの有名なコレクターの方と知り合いなので写真を送ってこのガンのことを聞いてもらったのだ。 で、返事をもらったのだが、結論から言うとそのガンは価値を上げるために後からストック用のスリットを入れたのではないか?というものだった。 しかし、こんなに程度が良いのにわざわざそんなことをして逆に価値を下げてしまうようなことをするだろうか? でその彼女から(そう、女性の方なのだ!)パパ南部のストック付に関する書籍のコピーを送っていただいた。 それによると東京瓦斯電気工業のストック付パパ南部は多数あることがわかっているのだが東京陸軍砲兵工廠製でストックのスリットがあるパパ南部はたった3丁しか見つかっていないというのだ。 それはシリアルナンバー4556,4561と4692で先の2丁は同じナンバーが入ったストック付だそうで最後の1丁はストックは無いがタイ国の紋章が入っているそうだ。 後もう1丁、バレル長10.5インチの長銃身でルガー・カービンのようなストックが付いた物が存在するのだ。 シリアルナンバー4552のその固体はバレルには軽量化のためにフルートが入れられリコイル・スプリングもバレルの重量に対して強いものが入れられているそうだ。 この資料を友人を通じて送ってくれた彼女は(テリーさんというのだが)日本軍ハンドガンの本を出しているジェームス・ブラウンという人にどう見分けるのか?と質問したらしい。 その回答をメールで転送してもらったのだが、ブラウンさんによると日本軍の銃は「ラスト・ブルー」という手法でブルーがかけられていてガンの表面にブルーがかかるのだがフレームの内側などはブルーがかかっていなくて白い地肌が出たままになる。 ストックのスリットもレールの内側はブルーがかかっていないはず!ということなのだ。 確かに日本軍のライフルやハンドガンのボルトを引くと中は白いスチールの地肌になっている。 このパパ南部に関してはスリットの見えている所はブルーがかかっているがスリットの内側、レールの中は白く残っているようだ。 テリーさんは肝心なシリアル・ナンバーやストックのスリットの写真をブラウンさんに送らなかったのでブラウンさんは判断ができなかったようだ。
GUN HISTORY ROOM の杉浦氏にもこの件に関して質問してみたのだが正式拳銃ではなかったのでちゃんとした資料が残っておらずストック付南部式自動拳銃の数はわからないので推測の域を出ないが、正式拳銃ではなかった故に特注品のガンを贈答用としてオーダーされた記録が残っているのでもしかしたらそのうちの1丁ではないか?ということだった。
もしかしたら4丁目の発見か?と舞い上がっていたのだが、今更になって痛いことに気がついた!(爆)
それは何の気なしにボルトを引いた時、ボルトの裏側にある数字に目がとまった! 皆さんご存知のように当時のガンはまだ今ほど部品の互換性が無く最終仕上げは手作業によって行われていた時代でガンの部品にはそのガンのシリアルナンバーが打ってあるわけだ。
ありゃりゃ? 番号が違う! 私はマガジンまで番号が合っているガンはルガーP08にしろ南部にしろ他ではほとんど見かけたことが無いのでこのガンもてっきり番号が全部合っている物とばかり思い込んでいた。 「なんじゃあこりゃあ!」と思わず声に出して叫んでしまった!(笑) そこで分解してみるとマガジンを含めフレーム部分はみんなナンバーが合っていた。 バレル部分はボルトを含めこれまたナンバーが合っている。 これではまるで2丁を分解して組むときに組み間違えた?というような感じだ。
これでは4丁目の歴史的発見というにはちょっと微妙になってきた。 しかし今まで見てきたパパ南部よりはかなり程度が良いしストックも付けられるのでそれはそれでおいしいではないか!(笑)
|
 |
伸縮式ストック!
この一緒に付いてきたストック、最初に見て程度が良いのでリプロダクション、つまり当時のものではなくて後から作られた物だと私でもすぐわかったのだが、そのリプロでさえここアメリカではほとんど見ることができない。 作られた数が少ないからだと思うが、ここアメリカではリプロのストックでさえもなんと2千ドル以上の値段で取引されている。 一度ラスベガスのアンティック・ガンショーでリプロのストックを見かけたことがあるが$2500の値札がついていた。 これがもし本物だと桁が1つ増えることになるのだが! しかし思うに数が少ないとはいえ、このストックが付くガンを持っていなければ必要ないわけでこの値段は需要と供給のバランスということなのだろうか?
リプロとはいえマウザーの中国製ストックのような粗悪品ではなくかなり良く出来ている。 実物のグランパ南部のストックの写真と比べても見劣りしない出来だ! 調べてみてわかったのだがグランパ南部のストックには金具の部分にシリアルナンバーが、パパ南部のストックには蓋の部分にガンと同じシリアルナンバーが入っている。 リプロとしたのはナンバーが入っていなかったからだ。 ほとんど見る機会が無いと思うので写真で紹介したいと思う。 蓋のナンバーと内側の番号は本物と同じように私が入れたものなのであしからず!(笑)
|
 |
実射!?
さて実射と行きたいのだがなんせ8mm南部となるとまずガンショップでは手に入らない。 もちろん以前作っていた MIDWAY も今は販売していない。(リロード用ダイなどは手に入る。) 実はガンを購入した時に8mm南部も一緒に購入させていただいたのだが、オリジナル(つまり当時の実包)で今やすごい値段で取引される物でこれを遣うわけにも行かないのでガンショーで探すこととなった。 まあ自分でいつか撃ってみたかったので年に3〜4回行われるコスタメサのガンショーで前回、一箇所だけ8mm南部を売っていたので1箱だけ購入したのだがなんと25発で$35.00! 9mmパラの50発入りが$20〜$30ぐらいで買えるのでかなり高い! 高いのだが弱装弾かもしれないのでうまく作動するかもわからないのだがそれは撃ってのお楽しみとなる。 ストック付きのガンは手で持ってガンのみで撃つ時とは着弾点が変わると言われているのでそれにも興味がある。 しかし、なぜ日章旗なのかは突っ込まずにおこう!(笑)
8mm南部は380ACP程度の威力とは聞いていたが実際に撃ってみて最初に感じたのはやはり「撃ちやすい!」という事!(なんと月並みな!笑) 実射に使用した弾は撮影も含めすべてきれいに作動した。 この弾は83グレインのカッパージャケットでオリジナルの8mm南部は101.7グレインでもう少し重い弾なのだが、軽い分初速は少し上がったのではないだろうか? そこでミッドウェイの弾も撃ってみた。 こちらはオリジナルとほとんど同じ102グレインだがあまり変わらない反動だった。 弾頭の重さは違うがパウダーの量が同じとは限らないので参考程度という事になるのだが! ちなみに試しにオリジナルの弾の初速を計ろうと試みたのだが1発目は3回トライしたが発火せず、2発目も同じ結果だった。 戦後70年という事だが、この弾は70年以上も前の物という事なので不発だったのもお許し願いたい。 しかし1発$10前後で売り買いされているらしい! まあ、25発で$35.00の方がましという事だろう。(笑)
弾数が少ないので射撃精度など計るのは無理な相談なので撃った感じだけでもお伝えしよう。 私の癖なのかもしれないが、25m程で両手保持で狙ったところを撃ってみたが、どうしても15センチほど下に当たるようだ。 そこで、ストックをつけて同じところを撃ってみるとほとんどドンピシャに弾が飛んで行った。 ルガーP08もマウザーC96もストックを付ける前提でサイトが合っていると聞いていたのだが、この南部式自動拳銃もストックを付けてサイトを合わせているのだろう。 まあ元々の設計はグランパ南部なのでそれは至極当たり前と言えば当たり前という事になる。 ではストックが無くなったパパ南部のサイトは? たぶん何も改修されずにそのままだと思う。 ハンドガンなどあまり重要視されていなかった時代だったので、至近距離で撃つか自決用(?)に弾さえ出ればよかったという事か?(笑)
せっかく手元にあるので十四年式と九四式も撃ってみたのだが、結論から言うとパパ南部が一番撃ちやすかった。 それはグリップのデザインから来る物だと思う。 十四年式は見てのとおり角材を握っているようだし、九四式の変わった(不細工な?笑)デザインのグリップも握り具合は悪くないが銃が小さく軽い分反動が大きくなる。 3丁とも真上に排莢口があるのだがパパ南部だけほかの2丁に比べかなり大きな弧を描いて2〜3m前方へ薬莢が飛んでいく。 おかげで貴重な8mm南部の薬莢を探すのに苦労をさせられた。(笑) 昔ブローバックのモデルガンを撃って友達と血まなこになって薬莢を探したのを思い出した。 まあそれも楽しい思い出なのだが、ここは地面にじゅうたんの様に撃った後の薬莢が敷き詰められているので探すのは難しく結局4発は未回収となってしまった。
|
 |
初めての日本軍ハンドガンの実射であったが、このぐらいの反動は45や9mmを撃ちなれていると物足りない感じもするが、どちらかというと撃っていて楽しい。 例えばS&WのM66の2.5インチで357マグナムを撃つと結構きついのだが38スペシャルで撃つとガンガン撃てて楽しいのだ! しかしそれがM36のJフレームになると38スペシャルでもきつくてあまりたくさんは撃ちたくなくなるのだ!(爆) 楽しいとはいえ弾が高いので全然撃ち足りないと感じたのが今回の射撃の感想ということになった。 このガンをばかすか撃つ輩はいないのでこの辺でぐっと我慢をして次回の出番を待て!という事だろう。
南部式自動拳銃は最初、軍では採用されなかったため、公的資料がほとんど残ってなく関東大震災でほとんどの資料が焼けてしまったこともあってわかっていないことが多いが、輸出を主体に生産され、1912年にアメリカ陸軍から1911を開発したので進呈するかわりに日本軍の拳銃との交換をしてほしいと依頼があって木箱に入ったストック付き南部を特注で作ったとか。 南部麒次郎自身が伊藤博文の元を訪れ南部式自動拳銃を贈呈したという記録も残っているそうで特注の南部式は贈答目的利用が結構あったとか。 この南部式自動拳銃もその中の1丁だと考えれば、それはそれで夢があって良いと思うのだがいかがであろうか?
10/2015 GUN PRO
|
ここまで読んでいただける方はあまりいないでしょうが、この続きはGUN BOXのページの追記を見ていただければ嬉しいです。
GUN BOXのページ 南部式自動拳銃大型 着脱式銃床付 追記
1/4/2021 |
 |